忘れもしない、2011年3月11日。
あれからもう三年が経ったんですね。
私にはあの日宇都宮店に遅番出勤の為、いつもより少し早めに家を出て、埼玉から新4号バイパスを走り宇都宮に向かっていました。
栃木県に入り、宇都宮に着く少し手前に時々行くパチンコ店があり、その店で打ち始めた20分後、あの大きな揺れがやってきました。
震度6弱だったらしいのですが、天井からバラバラ白い粉が落ちてきて直ぐに停電。
通路に置かれていた別積みの玉が倒れて大変な事になりました。
出入口に人が殺到して私はほぼ一番最後の方に退出しました。
駐車場の車はダンスをしているかのごとくユサユサと上下左右に揺れ、建物は凄い音を立ててガシャンガシャンと横に揺れていたのを覚えています。
直ぐに携帯で「三陸で震度7」と確認。三陸が震度7で自分がいる栃木が恐らく震度6、家族がいる埼玉県は恐らく震度5が最高だろうと思い、自宅に戻らなくても家族は無事だろうと判断して、店に向かって4号バイパスを北上しました。
バイパスを北上しているその先は東北。東北の空は既に灰色に霞んでいて、異様な空の色をしていました。
宇都宮市内に入った頃には 東北方面の空は真っ黒い空に変わり、見た事も無いような風景になっていました。
「今、あの黒い空の下で凄い事が起こっている」と思うとぞっとしました。
それからは皆さんと同じに色々な事が起きました。
私は結局その日から宇都宮のホテルに9連泊する事になりました。4日目に一度自宅に帰りましたが物資を持ってそのまま宇都宮に向かいました。皆さんもそれぞれ色んな事があったのでしょうね。
パチンコ業界は震災時の石原バッシングにより、厳しい状況に追い込まれました。例の「自動販売機とパチンコ」の話です。
広告の規制が入ったのも石原バッシングが端を発していると思いますが、でも私は今になって思います。寧ろそれが業界にとっては良い方向に向かう切っ掛けになったのではないかと。
今日の埼玉県の新装開店情報を見てみたら12軒しかありませんでした。
私はさすがに今日の新装をしようとは思えませんでした。
今日はみなさん、家に帰ってあの日の事を話すのでしょうか。