あれから4年ですか・・・
一生忘れないでしょうね。
2011年3月11日14時46分。
皆さんはあの時どこにいましたか?
私は宇都宮店に勤務していた時なので、遅番出勤前に栃木県下野市でパチンコを打っていました。
その時打っていた私の台は千円で32回転も回るグルグル台。その機種は2台だけあって、ふらっと寄ったその店で歩いていて偶然発見しました。2台の内1台は私より先にチンピラ風の男性客が座っていて、「この人もグルグルなのを知っていて打っているな」と思いながら座りました。
そしてあの瞬間が・・・
最初は「ん?地震だ。」と思いましたが、その数秒後には「これはいつもと違う」と直ぐに分かりました。
下野市の震度は震度6弱。
今まで体験してきた地震など比べ物にならない揺れでした。
店内のお客さんはざっと70〜80名?
おばちゃんたちがキャーキャーと悲鳴を上げながら真っ先に出口に向かうと、男性客も「この地震はただの地震ではない」と一斉に立ち上がりました。
中央通路に5〜6段で別積みされていた大量の玉箱が倒れて通路に散乱し、天井からバラバラと白い粉が降って来ます。
しかしチンピラさんは堂々と微動だにせず、周りの様子を見る気配もなく、盤面を見てハンドルをしっかり握っています。私も負けじと頑張りました。
しかし天井からちょっと大きめの破片が落ちてきた瞬間、子供たちの顔が頭に浮かんで、「死ぬかもしれないと!」と思ってすぐに席を立ちました。
その直後停電。私が出口から出たのはほぼ最後の方。チンピラさんは1番遅かったと思います。
駐車場に出ると、女性は座り込み、男性は低姿勢で足を大きく広げた状態で中腰。全ての車が踊っている状態でした。
林の木々の葉が擦れる音と、全てのものが揺れる音が重なって、大きな地鳴りがずっと聞こえている状態でした。懸垂幕のフレームが「ガシャン!ガシャン!」と大きな音を立て、建物の外壁がバラバラ白い粉となって降っていました。
揺れが落ち着いてから携帯でyahooニュースを見ると三陸で震度7と分かりました。
自分が居る場所は震度6は間違いない。恐らく自宅がある埼玉は震度5だろうから、埼玉で家屋の倒壊はほぼないだろうと思い、宇都宮店に向かいました。
4号バイパスを東北方面に車を走らせると、毎日通いながら見ている東北の上空が今まで見た事もない、薄い黄色の様な色をしていました。
「今、あの空の下で大変な事が起きている」という事だけはわかりました。
しかし、東北上空は見る見るその色を変え、10分後には真っ黒な巨大な雲のようになっていました。
宇都宮の震度は6強。
店内は真っ暗。お客様もスタッフもみんな外に出ている状態でした。
家族とはしばらくしてメールで連絡取れましたが、送信も受信も遅い。電話はつながらない。
暫くすると台風かと思う程の突風がビュービューと吹き荒れ、寒いので車で待機。
余震が続く中、マンションの上層に住む女性スタッフが「今日の夜は余震を子供が怖がると思うので車中泊します」と言ったので、「確かに・・・暖を取る為に車中泊する人が増えれば、ガソリン不足に陥るのでは?」と思って、ガソリンスタンドに行くと、既に大行列が。
それからの事はみなさんと同じです。
輪番停電ありましたね・・・
今日は4年前のあの日の事を思う一日になりそうです。