東京のP店を辞めて人形町のファイナンス会社に就職したが父が一ヶ月で他界。
その半年後には会社の幹部が詐欺で逮捕され、会社は倒産に追い込まれた。
東京の生活に疲れていた私にとって、「埼玉の実家に母が一人寂しく暮らしている」と言うのは、東京から埼玉に戻る最高の言い訳だった。
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埼玉に戻って数年後、スロット業界に異変が起きていた。
パチンコ業界は爆裂AT機でファン人口が急速に拡大していた。
儲けた利益をAT機に再投資、それまで店内の4分の1程度しかなかったスロットコーナーはパチンココーナーを侵食するが如く、一気に40%以上のシェアまで広がっていく。
地元の行き付けのバーではバーテンダーが、「この数ヶ月間でアラジンとゴッドで160万もプラスになっている」と自慢していた。
4号機の爆裂AT機はそのあまりの過激さに、噂が噂を呼び、それまでスロットをほとんどやった事もない人までが手を出すようになっていた。
ある時友人と車に乗っていると、「ちょっと付き合ってくれない?」と言われて向かったのは、その友人の会社の先輩という人の自宅近く。どうやら、ゴッドにはまって、奥さんに内緒でサラ金から借金をし、その返済のために会社の後輩である私の友人に、10万貸してくれと頼んできたらしい。
「こんな所にまでゴッドが・・・」。
私はその頃スロットで生計を立てていた。
勿論、元P店の店長だから、店の裏まで知り尽くしているし、三大誌の解析雑誌は全て購入して白黒ページの細かい字まで読破しているから、月間でプラスにするのは余裕だった。
店は過激なイベントを開催して、メールで煽り、客は狂喜乱舞した。
スロットの方が儲かると、仕事を辞めてスロプロになる若者が急速に増殖していた。
今までは2時間前に並べば高設定に確実に座れたイベントも、次第にその時間は早くなり、真冬でも4時、5時に並ばないと座れなくなっていた。
どこかで行き詰まりを感じていた。
私は後輩に電話した。
彼は私が唯一認めるプロ中のプロ。今、この激戦のスロ生活でどうやって彼が生き抜いているのか知りたかった。
早速、「いつも何で稼いでいるの」と聞くと、「ジャグラーです。変更判別は食えますよ。」
「どうやって?」と聞くと、意を決した表情で、「今までお世話になった先輩だから話しますけど、実は変判がすごいんですよ」と。
「変判くらい誰でも知ってるけど、昔のパルサーやHANABIの様に設定1~4or設定5or設定6とハッキリ判別する事の出来た「高設定判別」じゃなくて、設定変更した事だけしかわからない「変判」じゃ食えないでしょ?」。
・・・と私に言ったのです。